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| 2002年8月11日〜2002年8月18日訪韓 |
2002年8月11日〜2002年8月18日訪韓
夏の臨津江(イムジンガン)へ
2002年8月11日、JL963便でソウル入りしました。私はいつも関空を利用して韓国入りしているのですが、大体午前のJL961か、午後のこのJL963の利用が多いです。13日までは所用でソウル市内をあちこち歩きました。
14日は1日暇が出来ましたので、なんとなく前回冬に訪れた臨津江(イムジンガン)駅まで行ってみることにしました。前回の訪問後、線路がまた1区間先の都羅山(トラサン)駅まで復活開業しており、1日数本の列車が都羅山駅まで運行されているらしく、分断後50年ぶりに臨津江に架かる鉄橋を渡る列車の姿が見られたらいいななんて考えながら臨津江駅を目指しました。
| ソウル駅のコンコースの風景です。 都羅山駅までの切符は定員制になっており、運がよければ残っているかなと思い、駄目元で切符売り場の駅員に聞いてみましたが、当日のソウル駅発行分はもう無いとの答が返って来ました。 やっぱり計画通り臨津江止まりです。 ワールドカップの余韻か赤いTシャツ姿の若者がまだ多かったです。 |
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| 臨津江行き統一(トンイル)号。 写真の上にマウスを持っていって下さい。ソウル駅発のサボが見られます。 前回乗車した時、臨津江行き列車はソウル駅の1つ先の新村(シンチョン)駅が始発駅になっていましたが、現在は工事も完了したようで、ソウル駅発に戻っています。 ソウル駅 京義線ホームにて |
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| ソウル駅京義線ホームをゆっくりと滑り出た統一号は、ソウル市内の雑踏を抜け、しばらく徐行運転で進路を北に向けます。 | |
| しばらく車窓を眺めていると、水色(スセク)の車輌基地が見えてきます。写真は7300型機関車牽引のムグンファ号。 その後、花田(ファジョン)駅付近通過時には、進行方向左側に2004年開通予定のKTX(韓国版新幹線)の車輌基地が見え、既に何編成かを見ることが出来ます。 |
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のどかな風景の中を走り、列車は終着駅臨津江駅に到着しました。 この駅は前回の冬の訪問時と比べて大きな変化はありませんでした。 冬の様子はこちらをどうぞ。 |
| プラットホームに兵士の姿が見えます。写真をクリックするともう少し大きなサイズになります。 京義線はここ臨津江駅からもう1つ北の都羅山駅まで延長されていますが、都羅山駅まで行く乗客も、全員一旦ここで下車しなければなりません。そして軍による金属探知機などによる持ち物検査と乗客名簿の確認をしてからでないと、都羅山行きの列車に乗車することは出来ません。 |
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| 臨津江駅の列車時刻表、11:43 12:43 13:43 1日この3本だけが都羅山駅まで運行されています。所要時間は約5分。このたった5分の区間が復活するまでに50年以上もかかったことになります。都羅山行き列車は完全定員制です。 | |
| 臨津江駅を出て臨津閣まで歩く途中に小さな川を渡ります。写真で奥に見えるのが現在の京義線の橋梁で、手前の橋脚だけになった物が朝鮮戦争前まで使用されていた京義線の橋梁跡です。 | |
| 北朝鮮の生活物資などが展示されている博物館。前の庭には昔の戦車やロケットなどが展示されています。 | |
| 望拝壇前に集まる学生達。 南北統一を願った集会でしょうか、警察のパトカーに先導されてたくさんの学生達がやって来ました。 |
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| 国家河川 臨 津 江 鉄柵の向こうへは許可無く民間人が入ることは出来ません。柵の向こう側で兵士が監視していますが、兵士にカメラを向けると笛を吹かれて注意されます。 |
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| 京義線 鉄道・道路 連結(ムンサン―ケソン)鳥瞰図 |
臨津江(イムジンガン)の眺望です。左右に流れる川が有名な臨津江、歌手キム・ヨンジャの歌でも歌名になっていますね。
数年前までは、まさかこの川を再び列車が渡るなんて信じられませんでした。昔から韓国の離散家族の方達が、生き別れになってしまった家族が暮らす北の地を、一目見たくてよく訪れた場所の一つがここ臨津閣です。
左側の鉄橋が復活開業した京義線の新線で、右側に橋脚だけ残って見えるのが戦争前まで使用されていた旧京義線跡です。
手前の赤いバスは、DMZ(非武装地帯)ツアーバスです。ツアーへの参加は、ここにある臨津閣観光案内所で申し込め、2時間程のツアーになります。外国人の申し込みにはパスポートの提示が必要になります。南侵第三トンネルは今も見学出来ますが、都羅山展望台は現在(2003年1月)地雷撤去作業中の為、2003年の夏ごろまで立ち入りが禁止になっています。
同じ民族でありながら、この川を隔て逢う事すら許されない。そして家族が離れ離れになってしまい、生きているのかどうかさえ分からない人達が一杯います。そんな人達が、1日でも早く家族と逢える日が来る事を、日本人である私も祈っています。そして、今の我が国の平和を当たり前と思わず、平和な毎日に感謝の気持ちを忘れないように暮らそうと思います。ここに立ってそんな事を考えました。